2013年7月15日月曜日

金榮輝委員長の <天聖経増補版正しい理解と摂理的価値>に対する私たちの主張

金榮輝委員長
<
天聖経増補版正しい理解摂理的価値>に対するたちの主張

のお様制定『天聖経』を守る祝福家庭協議会
2013.7.10



1
はじめに

  
たちは、金榮輝委員長が、201191作成された<統一36家庭決意署名書>署名したことをはっきりとよくえていますみ旨父母遺業(レガシ)をるためにがった顯進様祝福家庭義を重んじた決みを「不服不従順悪意いてした郭グルプの摂理的為」罵倒したこの署名書は、統一した恥ずかしい行動だと摂理史されることでしょう。
  
ところが最近、金榮輝委員長妄言えており、ではなさの次元えて失望憤慨心さえっています5日本にまでって、自分摂理功績潰す妄言べました日本教会は、これをビデオって礼拝時間にすべての日本食口たちにまわしたりしました。
  
日本語った言葉引用してみましょう。「お様の価値めていないは、つことができないということです。される道がありません...それをご子女様たちもそのようにしている(お価値めていない)ので先輩たちもそのようにえがちです。それでたちの信仰間違っているのは、まさにこのためです。今、顯進様側いてもいますね。完全間違っています...この父母はお二人しかいません...その立場わりをすることができませんこれらのことをらないので、かお失敗したことなどして、失敗したのでその息子がそれをいだとかそんな無理強いをしています
  
まことに何といっていいか言葉ません金委員長は、いかなるもなく、このようにばかげたひどい傲慢独善ちた言葉いたことについて、今後厳密歴史的評価審判覚悟する必要があります。
  
金委員長は、7月初めに撮影したとみられる<天聖経増補版正しい理解摂理的価値>という主題のビデオでものおみ言み旨完全否定して歪曲する妄言べましたは、主張視点がどれだけ本質かられているかを分析し、全祝福家庭公開しようと思いますたちはこれからものおする委員長のいかなる主張行動にもしないことをらかにしておきます。


2
.金榮輝委員長発表に対する『天聖経』を守る祝福家庭協議会主張段落ごとの対比

  たちは、食口たち十分に理解できるように金榮輝委員長発言全体して段落ごとにけて、たちの主張をまとめました。便宜上金委員長は、「に、祝福家庭協議は、め、けて区別する

  1今回問題は、3つのからえることができます一番目は何かというと、お父様遺言書とする八大教材をなぜやたらとらし、このようにするかということです。ところで、八大教材意味かをっておくべきです。八大教材というのは、八冊のことではありません通常考えるとき『八大教材』というので八冊だと思うということです。

  1:八大教材教本は、単順単行本冊子っている食口たちがどこにいますか最高元老がなぜ今更それを強調して解明するのか突拍子もなく疑問です。もしかしたら、委員長自身まで、そのように理解してきたのではないですか食口たちのレベルをないでくださいこの瞬間世界各地かしてお父様み言し、研究する食口たちがいます。

  2:それならそうでない理由?まず一番目の『み言選集』600冊以上になっています。それはもうだめなのですね。

  2のお様み言選集、すなわち『文鮮明先生み言選集』全体まとめてつの教材教本制定されたもので、それが何冊かということは議論するところではありません。それよりもはるかに重要問題は、その分何冊になろうとなるまいとのお生涯された全てのみを抜け落としたり、加えたり減らしたりざんしないでそのまま完全刊行することです。これはみ言編纂委員遂行しなければならない最優先任務であり課せられた業務に該当します経典補完のようなことはみ言選集しく刊行する基本責務たしたでかろうじてにすることができることです。

  3二番目として『家庭盟誓』は、がありません。家庭盟誓』は、天聖経の前重要ごとにれませんか家庭盟誓解平和神経の中にあります平和神中に家庭盟誓が合わさっているのです。これは父様えられた方法だということです。

  3:『家庭盟誓』は、一枚文書ですが、それがんでいる意味価値は、様のみ言全体含んでいるといえるほど比重きいのですのおは「家庭盟誓は、天宙平和統一王成す絶対基準であり、憲法じもの」明示されましたえば憲法は、その文書の分量ないによって意味軽重まるわけではありません。
  金委員長の言及を額面通りにても、「『家庭盟誓』が『平和神経』の中にわさっているのがのおえられた方法」であればそのようにしておかれた『平和神経』冊子自体をなぜなくしてしまったのですか自分たちのですでになくした名前になってな持ち出すのですか
  それよりもたちが指摘する問題要旨は『家庭盟誓』原文ざんして毀損したことにあります。まず「神様」を「天の父母様」えたのは、かつてのお確定公布された「天宙父母様」2003.2.6)という対峙し、「天宙.天地天地人父母様」定着摂理根幹るがす重大険性えています。
  20011月「神様王権即位式」10天一国出帆後2003261.6のお様還暦して「天地父母様 天一国開門 祝福聖婚式」と「天宙・天地真の父母平和統一祝福家庭王即位式」がありました。天宙父母は、無形霊的父母であられる創造主神様であられ、天地父母実体的父母であられるのおのお称します
  天宙父母天地父母は、天一国開門祝福聖婚式通して合徳一体化されました。これは、1960411教会基盤の父母様御聖婚天一基盤の第二次父母様聖婚であり、神様聖婚意味するものであり、これにより、天宙・天地父母平和統一なされ祝福家庭王即位されることができたのです。
いて2003102510.1天地人父母宣布がありました天地人父母天宙‧天地父母徳され、霊‧肉実体持ったとして3大圏の家庭基盤で定着されるようになります。このような脈絡で「天の父母様」という称号公式規定して使用することは概念的摂理史的根本的問題えているのです。
  また、「成約時代」を「天一国時代」えたのは1993年以7年間成約時代越えてみ言完成時代包括する概念定義という見落とした措置です。しかも、した天一時代前提とされ、節の冒頭に「天一国主人」2002.11.5)を補完されたこととも文脈上重複し調和しません。
のお2004に『家庭盟誓』最終完成された、聖和されるまで8節原文をそのまま維持して来られました。その意味して改ざんされた部分復元するのがです。

  4家庭』『平和の主人血統主人』さなです。これは経典になることができませんもし、これを効果的にするなら外部渡す時平和神経とわせて一冊してかんばしくない本だというのです

  4に『家庭盟誓』一枚文書なので、どのでも、そのくっつける程度意味つといった言葉もそうだし『家庭』や『平和の主人、血統主人』が「さななので経典になることができない」という言葉は、にみ摂理する無知のいたすところとわざるをえません同時に、こういう断言は仮に量的少ない冊子だとしてもそれを教材教本制定されたのおみ意一蹴する致命的不忠公開しているといえます最高の元老らしくない軽はずみきわまりない言いぐさです。
金委員長は、その二冊冊子意義についてされたのおのみをただ一節でもんでたのかおきしたいといます。読まれたならそんなあきれた失言をすることはできないことでしょう。
 『天家庭』は仮に148ページ小さい冊子だとしてもそのに込めて人類されようとしたのお摂理的なみ心情的熱望はまさに対的基準でありました。『平和の主人、血統主人』もやはり、ある日ある場所でくださったひと握りのみ収録した小冊子ですが、そのみ通して願われたみ旨期待された次元奥深く非常に高いものでした。
 『天家庭』は、様自ら指定してさったといわれ(のおのみ言2009.11.6)、『平和の主人、血統主人』最後遺言書として、のお様聖和後、伝統てる教材教本である明示されました(み言選集、偽本615-2872009.9.10のお2009.11.14)。
 従って、
量的分量比較だけでは、その冊子込められた摂理的質的価値測り判することはできません。もちろん、委員長視点断力かんがみると、その質的価値とはかを議論すること自体無意味なのかもしれません。
のおはすべての祝福家庭が、この冊子430冊ずつ購入し、氏族的メシヤ活動伝道活用するようして来られました。このように、のおは、現場にみ普及伝えるのに非常容易なように、含蓄があり核心的なメッセジをさな分量込めて教材教本として贈って下さいました。この2小冊子経典べて倭小ですがそれらと一の位相教材教本制定された配慮のみめられているのです。
  従って、委員長分量なく経典になることができず「外部渡す時に『平和神経』わせて一冊てもかんばしくない本」ったのは非常思慮深くなく、摂理観信仰基準盲点露出したものです。このような委員長った認識視点現在の八大教材教本全体んじて、毀損解体というめての事態を引き起こしたとざるをません。

  5その重要でないということではありませんたちが外部渡すときにそうだということですお父様家庭平和神経合わせたように、たちも天聖家庭内容入れ、、お講演集である平和経』にもよりプラスしてれたということです。

  5:すでに「さな...これは経典になることができない」「一冊ってもかんばしくない本」などの表現をよどみなく駆使された場で「その重要ではないということではない」という真正性のないリップ​​スはとりたてて効力がないようにみえます重要だと言うのであれば一体何重要なのかわかって言う言葉ですか。
  のお経典制定されたこの二冊の小冊子に手をつけたことをめぐり、外部渡すのにいいためという次元で説明しているのは、軽薄で不如意なです。また「たちが外部渡すとき」のためなら講演集『平和経』よりもむしろそのさな2冊子をそれぞれたやすく渡すことがはるかにいのではないですか?この二冊経典制定されたの奥いみはさておいても、すでに外部渡したり配ったりするのに適分量きさでよくってくださった冊子を、しいて所持するのも難しい分厚探しだすのも難しくしていてそれが外部渡すのにいいとは、こんな言葉遊びがどこにありますか?

  6:だから(八大教材の中につも抜いたものはありませんそれをよりに、よりやすく、全部合わせたものです経典経典らしく作ったものです見てください。言選集はそのままあります世界経典そのままあり原理講論そのままあります

  61648ページの『平和経』192ジの『平和神経』よりも「よりに、よりやすく、く」したという言葉は一体合っているのでしょうか 148ジの『家庭』152ジと68ジの『平和の主人、血統主人』わせた1648ページの『平和経』がどのように「よりに、よりやすく、く」られたですか?さらに「経典を経典らしく」つくったというのですか。それなら、お父様経典を経典らしくないように制定されたというのでしょうか。そのような妄言がどこにありますか?そしてみ言選集はそのままだと言いましたが、委員長は、教会指導部がみ言選集にまで着けて修正したことを本当に知らずに言う言葉ですか?

  75問題ありませんか?そので『家庭盟誓』は『平和神経』っているのだから、それはいて4問題になります。『家庭』、『平和の主人 血統主人』を合わせてしまえば、すべてっているのです。

  7委員長言葉くと、まるで来市場雑貨商人品物陳列しながらぶつぶつ言う姿がかびます。「これはここにくとよく、これは抜いてあそこに置くと、見た目がちょっとより良くこれとこれはさいからわせておけばちょうどいい問題さあ良く売りさえすればいい」まあこんなじではないですか?
のお生前くの出版物八大教材教本選定して確定されるまでどれほどの年月夜、精誠をつくされご苦労されたか委員長えてみられましたか神様に一点の傷もない完全に玩味した最大の供として奉献され、地億万歳人類のための最高として相続して下さろうと、その憔悴した日えながら注がれた涙のこもった足跡をどれほど推し量られましたか?
  金委員長一体何者だからのお生涯最後の事業としてをもんで調べられた末、制定された八大教材教本名前とその偏在区分を、市場雑貨商が品物をわけて置くように、あれこれおきかえる権利行使するということですか? 八大教材教本とは、その創出原作者であられるのお深思熟考され手ずから編成され、命名されたその基準があるので、固有意味つことができるのです。それだけがたちすべてに唯一比類のない価値つものであり、たとえその構成が、委員長らなくても、それに手を付ける権限つもないのです。

  8様ではなくお様がしたので、今言っているのです。それなら、おとおがどのような価値いがあるのか​​というのです。そのは、父様はとても位置にあり、お様は何でもないようにています。これが問題発端ですそこに問題があるのです。八大教材巻数でだけ考える観点。お父様の位相とお母様の位相違ってみる観点からてきたものだというのです。

  8:いまだに状況把握ができず、核心をつかめないでいる言葉です。「様ではなくお様がしたのでっていること」ではなく、「お父様がしておかれたことをお様が間違って手を付けられたのでっていること」です。
  そして、いったいのおのお価値の有る無しをじたというのでしょうか?「父様はとても位置にあり、お様は何でもないようにていること」問題発端ではなく、「父様と同じ非常位置におられたお様がお様が位置しっかり建てておかれた仕事をして自ら何でもないものと同じ位置りていかれようとしたこと」問題発端なのです。
  にも指摘しましたが「八大教材教本巻数だけで考える観点」は、委員長だけがった観点であり、すでに同位権、同等にいらっしゃるお父様の位相とお母様の位相違って見るように事を引き起こした源泉的動機は、まさに金委員長とその委員にあるのです。
  実体もない虚構の言葉遊びに責任転嫁自分間違いをもみ消そうとせず今からでものお真心のこもった忠言により正しい決定をされることができるように身を処し、のお同一ののお位相を再び回復して差し上げることをお勧め致します金委員長などは、のお様の体面位相を立てることにこだわり没頭するあまりのお権威位相をすっかりすことにより、結果的のお位相価値さえ失墜させる無謀なことを起こしているということを冷徹することを願います

  9:それでは、お価値かということです。お父様のみを見てください。お父様個人的に言われたみつもありませんすべて父母という名前げてされましたすべてのみは、父母立場で言われたということですりも、父母名前でされました。どういうことかとうと、お父様一人で言われたものではなく、お父様はいつでもおとお様が一つになった父母代表して語られたのです

9:すべてのみ言と祈祷を二人が一つの立場でなさいましたが、どうして真のお母様はそのように一つになって行われた真のお父様のみ言の意味を、聖和される前に使い古した履物のように捨てて真のお母様の意思で行為なさいましたか。真のお父様の生前に共になされた約束のみ言であるなら、聖和後も依然として守って差し上げることが夫婦間の道理であり正理ではないでしょうか。

10:お父様はお母様と一つになった真の父母を代表して語る事ができ、お母様はお父様とお母様が一つになった真の父母を代表して語ることができないか? 彼らの言い分はお父様はその様になることができて、お母様はそのようにはなれないということではないですか。

10:真のお父様は生前に総てのことを真のお母様と相談される中で摂理を展開され、真のお母様も当然それに順応して協力しながら内助して来られました。ですから真のお父様のみ言は真の父母を代表したみ言としての意味を持つと言えるでしょう。
しかし真のお父様の聖和後、地上には真のお母様が単独でおられて責任を遂行しておられますが、霊界に実存される真のお父様と総てのことを相談して裁可を得て一つになられた中で仕事をされると断言することは色々な面で困難が伴います。単に心情的霊的に交流しておられるという言葉だけでは現実世界をやりくりすることはそれほど簡単でないということです。
同じ理由で真のお父様は生前に重要な事案を決めて推進される時は必ず地上に啓示された霊的証拠を取りまとめて現実的に公認を受ける実体基台を立てて讒訴条件を解消された土台の上で支持と共感を得て仕事をなさいました。その過程は真に慎重かつ精巧で堅実でした。時には反対意見に対して退屈なほどに執拗に説得して納得させながら反対した本人自ら動機を与えられて仕事をするように導いてあげられました。
  このような真のお父様のずば抜けた真の愛のリーダーシップの恩恵で今日、私たちがいるのではないでしょうか。真のお父様が自身のみ旨と期待に応えられない者をその度に断罪して敵対視し、追放して出されたとすれば、その中で金委員長は果たしてどうなさったでしょうか。そのような真のお父様に比べて今日、本当にお母様のリーダーシップはどうでしょうか。一連の状況はそれとはあまりにも相反した様相を呈しています。
  そうです。「お父様にはできて、お母様には出来ないこと」があります。真のお父様は総てのことを徹底的に真のお母様と同伴なさり相談して決めて仕事をされたので可能なことであったし、真のお母様は真のお父様の生前に願われたみ言を全く考慮せず全てのことをそのみ旨と逆行する方向で、一方的に強行されているので良くないということです。

11:お父様が1960年に聖婚式をなさいましたが、それ以前のお父様の価値はどのように考えますか。お父様は個人的蕩減しかしたものはありません。個人的蕩減をしたのです。40才まで何をなさったかと言えば、個人的立場でサタンを屈服させた勝利をしたのです。イエス様と全く同じです。

11:個人的路程を歩かれる時は、個人的蕩減をするは当然のことです。どうしてその当然の事実をあえて強調しながら「お父様は個人的蕩減しかしたものはない」と一蹴して断定するのでしょうか。話そうとしている意図は明らかに分かりますが、真のお父様が40才まで個人的蕩減の他には何もしたものがないということは正しいでしょうか。その他に協会を創設して食口を育成し海外宣教に送られた事など、成し遂げられた公的なことは何なのでしょうか。

12:ところで新婦であるお母様を探して聖婚式をすることによって、その時から真の父母の名前を持つようになられ、聖酒式もするようになられ、祝福結婚式もするようになりました。その時から新しい摂理が開始されたのです。お母様とお父様お二人が一つならなければ血統転換もできないことであり、私たちを祝福させて結婚させることもできないし、祝福家庭を作ることができないということです。お父様がその次の摂理ができたのはお母様を探してお母様と一つになったためです。
お母様の価値とお父様の価値がプラスされて、真の父母になられて次の摂理をしたということです。だからお父様がいくら偉大だったと言ってもお母様がいなければお父様の価値はないということです。お父様のみ言の中にもあります。夫婦は半分にしかならないとおっしゃいました。お父様は半分にしかならないということです。真の父母の半分だということです。お母様も半分です。神様が見る時お母様の価値はお父様の価値と全く同じだということです。

12:とても冗長で陳腐な話です。私たちが今なぜいきなり立て続けに真の父母の価値を比べる話をしなければならないのでしょうか。繰り返しますが、今回の八大教材教本解体の事態は真の父母様の価値を比べることとは何ら関係ないことです。
あえてお母様の価値が大切なので、それをこのように強弁したいのなら、その部分だけを説得力があるように証明すれば良いでしょう。どうして真のお母様の価値を論証するための道具として真のお父様を引き入れて比べるのでしょうか。
「お父様がいくら偉大だったとしてもお母様がいなければ、お父様の価値はない」という話は非原理的な主張です。「真のお父様の摂理的公的価値は本来神様が動機にとなられて相対的に付与されたものであり、真のお母様の摂理的公的価値は当初、真のお父様が動機になられて相対的に付与されたものです」原理的価値は主体と対象の関係で生成されるのであって、対象のために主体の価値が決定されるという偏向的主張は妥当でありません。真のお父様がこの地に来られて40年苦難の路程後に真のお母様を新婦の位置に最終的に採択されその位置に立てられなかったとすれば真のお母様ご自身の意志では如何なる公的価値も持つことができないのです。金委員長は真のお母様に対する過度な忠誠心の発露によって、真のお母様が真のお父様から支えられた生涯の陰徳と恩恵を捨て去る夫人として認識されないように言動を慎むべきでしょう。

13:もちろんお父様はご苦労を沢山なさいました。イエス様は苦労を沢山しなかったのでしょうか。お父様も同様です。サタンを屈服させた個人的勝利条件を立てるのをお父様がなさったのです。ところがその後で聖婚をすることでお母様と一つになったのではないですか。一体になれば、相続権、同位権、同居権があるとおっしゃいました。お父様と全く同じである同位権に入るのです。一つです。同じ価値ということです。
  ですから先ほどお話しした通り、お父様はいつもお父様とお母様が一つになった真の父母になられた立場でみ言も語られ、すべての摂理を進行なさったために、お母様もお父様とお母様が一つになり真の父母になられた立場で摂理をすることが出来るということです。その時にはいつもお父様が一緒になされるというのがそのことです。従って、お父様一人でなさる時も、お母様がいつも行く時に一緒に行かれ、事情が許さない時には一人で行かれましたが、いつも霊的には一緒に行かれたという条件を立ててなされたのです。同じようにお母様がなさる時にも、お母様一人でなされたのではなくお父様も霊的に一つになって一緒になされているという心情を持って、そのような条件でなさっているのです。ですからお父様の価値はお母様と全く同じだということです。
  それでは、お父様と全く同じ価値を有しているお母様が指示をして行ったこのことが、何か誤っているのかということです。誤ったことは一つもないというのです。ですからお父様が指示して私たちが「天聖経」を作ったのと全く一緒である立場で、お母様がなさったことです。誰も批判できません。そしてお父様とお母様に対して私たちは批判する資格がありません。誰一人としてありません。誰がをご父母様を批判する資格がありますか。神様の他にはいません。神様だけがご父母様の名前でできるのであって、私たちはご父母様を批判する資格がないです。権限もありません。これは完全に越権でサタンというものです。何の権限があって、何の資格があってお母様がなされることを批判し、お父様を批判できるかというのです。それは誤りです。

13:真のお父様と真のお母様の価値が全く同じだという言葉をとても冗長で退屈にも繰り返した下心を確認できました。
私たちは真のお母様が下された指示が真のお父様がなされた事を壊す結果になっているので誤ったと言っているのであり、それでその誤りに対して指摘して問題を提起しているのです。真のお母様が真のお父様と同じ価値を持つ方だと言って、自分の意思で真のお父様の遺業を全部傷つけてもかまわない権利まで持つのではありません。真のお父様が生前にどの時点で真のお母様に八大教材教本を改悪し改ざんして傷つけてもかまわないという権限を付与されたことがありますか。あるならばそれに相応する根拠は何でしょうか。従って今回のことは真のお母様が真のお父様の権限に脅威を与え越権なさったことなのです。
私たちは真のご父母様の価値に対して論じたことはないし、そうすることもできません。ただし、真のお母様の指示を前面に出して真のお父様がして来られたことを破壊した貴委員会の誤りを指摘して批判しているのです。貴委員会は「何の権限があって、何の資格があって」真のお父様が行われた八大教材教本の構成と体制と内容に対して批判できますか。何の権限と資格でそれを思いのままに変えたのですか。先にこの点を謙虚に調査するように願います。

14:その次にはこの「天聖経」の内容を見ようというものです。今日もある人が私に電話を掛けて来ました。「前の『天聖経』は、神様の編を例にあげれば、重要な事が出て、その次にまた他の内容が出てきて、また重要な内容が出てきて……複雑で後で見ると、どれがどこにあるのかこんがらがると言っていました。ところが、今回の「天聖経」増補版はそのようなことがなく順序良く、理論的に展開している」と言っていました。とても神様に関する全てのことが明らかに入ってくると言うのです。
それでその人が「これは私たち信仰者だけでなく、信仰を持たない人にも多いに役に立つ、その人はこの本を見ればお父様の価値も解かるようになり、神様に対しても知るようになるだろう」そのように言いました。そう、その人はこうも言いました。「今まで私たちがお父様の自叙伝を配布したが、それと同じようにこの「天聖経」を配らなければならない。これが今後伝道をするにあたって重要な地位を占めるだろう」と話しました。それを見た人はそのように理解をするのです。

14:自分たちの手で改悪した改ざん品を取り出して誇示し功をてらうために、真のお父様が自ら制定された「天聖経」を無惨に踏みにじる妄言以外の何物でもありません。「この本を見ればお父様の価値も解るようになり、神様に対しても知るようになる」とは。それなら原本「天聖経」を見ても、お父様の価値も神様の価値も分からないという論理ですか。そうして真のお父様の価値をうんぬんできますか。
金委員長は今、真のお父様の価値はもちろん、その方の全生涯的意味を持つ偉業まで根こそぎ踏みにじる不忠と不孝によって越権を行っています。

15:ですから、私たちは堂々としています。私たちが他人の話を入れましたか。全てお父様のみ言です。お父様のみ言は6百冊以上になりますが、それをみな入れることができますか。6百冊にもなるみ言をどのように全て入れますか。どちらにせよ取捨選択をするほかはありません。

15:取捨選択は真のお父様がすでにされました。金委員長に取捨選択する権限と役目を委任されたことはありません。

16:私たちは私たちが見る観点で取捨選択をしたのです。最も適合すると思うものを選んで入れたということです。それが何が間違っていますか。とにかく皆さんは絶対こんなことに動揺する必要がありません。動揺する人もいないと思いますが、自信を持ってしなければなりません。誰が何かそうだと言って、動揺する人は最初からしないで下さい。

16:まさにそれが誤りなのです。真のお父様が取捨選択して確定されたみ言を無視して貴委員会が見る観点で任意に取捨選択したその事実が誤りなのです。そのような理由で貴委員会内部に「動揺する人」がいるのは当然の現象でしょう。自分の意思であろうと他人の意思であろうと、このような凶悪の集団行為に加担して動揺しない者であれば、彼がどうして良心がある者でありみ旨の道についてきた者ということができますか。砂上の楼閣と同じ全くでたらめな論理と、委員長という権威を前に立てて神聖な経典作業に加担する委員に加える強圧的言葉もまた危険千万な自らの状況を傍証していると言えます。  

17:私たちが今「真の父母経」を作っているではありませんか。これも前にありましたか。以前にありませんでした。前に先生がおられる時にあったものではないでしょう。これも新しくすべて作って、お父様の歴史、全てのことをすべてやって、合わせて経典を作ることではないですか。それが何が間違っているというのでしょうか。さらに豊富な内容を持って、より多くの資料を持って作っていますが、これに対して、何がどんな偽作で……偽作という話はお父様のみ言を使わないで他の人の言葉を使う時、偽作といえるのに、どうして偽作になりますか。お父様のみ言なのになぜ偽作なんですか。話になりますか。

17:真のお父様が自ら制定された経典を追い出して、同名で全く違う体制と内容を入れて改ざんしたため偽作なのであり、それで誤っているのです。本来、確定された内容を無視し「さらに豊富により多くの資料」を入れたその行為が誤っているということです。しかもみ言の主人であり、原作者である真のお父様の許可が得られない本に「真の父母経」という名前を付けることができるのですか。それがどうして真のお父様制定の経典の位置を代替できるというのでしょうか。

18:ですから今回、私たちが行っていることも私心ではなく、今まで私たちは私心なく行ってきましたが、徹底的に私心を離れて、本当に公的な立場で全てのものをすべきであると考えます。それが私たちの強みです。私たちがそのようにするならば、恐れることは一つもありません。神様の前に行っても心配することは一つもありません。

18:最後に自ら語ったその言葉で、自分たちの行為を根本的に省察できるよう願います。徹底して私心を捨てて今でもぜひ公的な立場において自覚して下さい。その自覚の根拠と基準は徹底的に八大教材教本の制定者であられる真のお父様の生前のみ言でなければならないでしょう。
  今、真のお父様が天上にいらっしゃるとしても、地上でいつも共に同行されるという基準で恐れ多い気持ちで話し、行動しなければなりません。真のお母様の現在の権威と指示だけを恐れるのではなく、天上から見下ろされる真のお父様を恐れ、天地人類と後代の評価を恐れて、最終的には神様の前に立つ日を心配しなければならないでしょう。


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